1952年、それまで布染を教えていた床次光が、革の草木染を日比野近三先生に師事。 翌年には自らの教室、床次アトリエにて教え始めた。それがクラフト社の始まりであった。 当時は革染の知識は乏しく、苦労の連続であった。幸い、東京農工大の管野英二郎教授(タンニン鞣し専門)に教えを受け、内容も充実することができた。 1957年、光の作品が日展に入選する。 以降、光門下生も光風会、モダンアート展に多く入選し、ハンドバッグ等の作品は銀座の和光やデパートでも扱われる様になった。当時珍しかった革染は新聞等でも取り上げられ、脚光を浴びていった。それまでも床次アトリエの材料手配を行なっていた光の弟・ 瑞彦は、革手工芸材料を必要とする人々の為に1960年、教室の隣で材料店を始めた。
そして4年後。1964年に、株式会社クラフト社を設立。 1968年には、革手工芸材料専門店「クラフト社荻窪店」を開店した。 さて、レザークラフトの代表的な技法の一つに、アメリカで100年以上前から流行している技法、スタンピングとカービングがある。これは瑞彦の妻・彦坂和子が学んだ。
1973年 クラフト社旧店舗入り口
必要な工具はアメリカのタンディ社より輸入し、1973年には日本総代理店として契約を結んだ。同年、彦坂和子は技法書「レザークラフト」を出版し、以降も十数冊の指導書を執筆、出版した。 スタンピング・カービングは染色よりも容易に行なえる事もあり国内でも徐々に普及し始めるが、より広く一般に親しまれる為には輸入の工具より、安価で良質な工具が必要であった。瑞彦は、刻印工具製造の自社工場を設立。 「道具がなければ自分達で作る」「レザークラフトを楽しむ側の発想で、今までに無い便利な道具を」 をテーマに、開発・製造を進めていった。
レザークラフト需要が増えていくにつれ、革の安定供給も問題としてあがった。良質な革の不足に悩まされていたある日、瑞彦は管野英次郎教授より当時アジア最大のタンナー、ニッピを紹介される。クラフト社はニッピとの共同開発により、タンニン鞣しローケツ染用の皮革「タンロー」を誕生させた。染色もカービングも良好な初めての皮革としてタンローは大変好評で、現在でも多くの愛好者から支持され続けている。 工具については、刻印・モデラ等の製造を自社工場で続けながらも、他社との交流もまた深めていった。1990年に販売を開始した「ホームレザー90」は、蛇の目ミシン工業の協力を得て実現した初の皮革用ポータブルミシンである。多くの革手工芸材料を研究開発し、こうして瑞彦はクラフト社の基礎を築き上げた。 現在、レザークラフトは誰でも楽しめるものとして、ビギナーからプロにまで様々な人々に愛される様になった。それに伴い技法も充実。多種多様な作品が作られる事に比例して、要望も実に多様化した。今日、クラフト社では多くのスタッフが瑞彦の創業時の意思を受け継ぎ、様々なニーズに答えるべく日々積極的に活動を続けている。 そう、あくまで「 レザークラフトを楽しむ側の発想 」をテーマに。